人気ブログランキング | 話題のタグを見る
excitemusic

わたしのしてん。            (c)音泉ニットキャップ。
by iso_noon_sen
ICELANDia
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
検索
リンク
タグ
最新のトラックバック
ブログパーツ
カテゴリ
以前の記事
ライフログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


はらたいさんに、全部。

昨日、熱にうなされ気味で聴いたニュース。

そのままダウンしてしまったので
ほんとかどうか…今朝検索したら
本当にそうだった。

ちずこ夫人は、
「肝臓がんでしたが、素晴らしい先生に巡り合えて手術はできる状態でした。
 ただ、主人はお酒が好きで肝硬変も併発しており、こちらが末期状態でした」と説明。
そして、
「本人は“不満はない。本望だ。
 63歳の人生だったが、十分に生きられた”と言っておりました。
 最期は家族に囲まれて旅立ちました」と気丈に語った。

本名、原 平。
寡黙で物知りだけど、えばらない所が
子供の頃から大好きでした。

最近、あまり体調が良くないという話を耳にして
まだ若いから、漫画復帰してくれるだろうと
想って、待ち望んでいたのだけど。
とっても残念でなりません。

だけど、男にも更年期障害があるんだ!と
たくさんの書籍を残し、活動をされて
世の中で、認めない医者たちに訴えてきた
その最後のお仕事で功績をこの世に残し
天国でも、頑張ったから病気をリセットして
次の時代に生まれる準備をしに行ったのかな。
と想うしかないのだ。

昔の作品、再発してください。



(c)isonoonsen


はらたいさんに、全部。_a0001004_2381096.gif



Excite : 社会ニュース
<はらたいらさん>肝不全のため死去、63歳 [ 11月10日 21時31分 ]
 漫画家で、TBS系のクイズ番組『クイズダービー』で人気を集めたはらたいら(本名・原平=はら・たいら)さんが10日、肝不全のため死去した。63歳。葬儀は15日午前11時半、東京都板橋区板橋1の48の13の新板橋駅前ホール。お別れの会を後日、出身の高知県で開く予定。自宅は非公表。喪主は妻ちず子(ちずこ)さん。
 1963年にデビュー。ナンセンスギャグを得意とし、『モンローちゃん』が大ヒットした。作品は他に『ゲバゲバ時評』など。1976年から16年間出演した『クイズダービー』では70%と高い正解率を誇り、博学で知られた。49歳からだるさ、気力のなさに悩まされた経験をつづった『はらたいらのジタバタ男の更年期』を2000年に出版し、話題を呼んだ。



----------------------------------------
はらたいらさんが肝不全で死去 [ 11月11日 06時12分 ]
 TBSのクイズ番組『クイズダービー』の名物解答者として知られる漫画家のはらたいら(本名原平=はら・たいら)さんが10日午後0時7分、肝不全のため埼玉県富士見市の三浦病院で死去した。63歳。高知県出身。50歳頃から男性更年期障害や肝硬変を患い、闘病の日々が続いた。突然の悲報に『クイズダービー』のメンバーたちは悲しみに暮れた。
 代表作『ゲバゲバ時評』『モンローちゃん』などの漫画で批評精神の利いたナンセンスギャグや、博識で知られたはらさん。50歳を迎える頃から男性更年期障害という厄介な症状に悩んだ。真正面から向き合い、10年にも及ぶ体験を『はらたいらのジタバタ男の更年期』『気楽に男の更年期』などの著書にまとめ、全国で講演会もこなしてきた。
 一方では気を紛らすためか、酒量も増えていたようだ。関係者によると、肝硬変で今年夏から体調が悪く、9月27日に東京医科歯科大学病院に入院。同病院から肝臓専門の三浦病院を紹介され、10月11日に転院した。三浦健院長(76)は1988年、東京・千代田区の半蔵門病院外科部長時代に漫画の神様と言われた手塚治虫さんの胃がん摘出手術を手掛けている。家族もいちるの望みを託したが、願いは届かなかった。
 三浦院長はスポニチの取材に「末期の肝硬変で、転院してきた時には手の施しようがなかった。食事療法を中心に治療したが、黄だんや腹水もあった。お酒が原因」と話した。9日昼に容体が急変。最期はちず子夫人、娘、弟子に見守られて息を引き取った。遺体は午後4時前に病院を出発し、東京・板橋区の葬儀会場に安置された。
 同8時過ぎ、文京区の自宅に戻ったちず子夫人が取材に応対。「肝臓がんでしたが、素晴らしい先生に巡り合えて手術はできる状態でした。ただ、主人はお酒が好きで肝硬変も併発しており、こちらが末期状態でした」と説明。そして「本人は“不満はない。本望だ。63歳の人生だったが、十分に生きられた”と言っておりました。最期は家族に囲まれて旅立ちました」と気丈に語った。


by iso_noon_sen | 2006-11-11 08:55 | 健泉
<< 林葉直子の自己破産はなぜか…。 今日、日本海側で突風…。 >>