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わたしのしてん。            (c)音泉ニットキャップ。
by iso_noon_sen
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南田洋子さん、好きだった。

南田洋子さん、好きだったな。

笑った時の口元がかわいい人。
いつも、りん!としてる人。
それから、話している言葉に
救われてたり、学べている…人だな。
優しくて、大きな人。
なりたいけれどなれない強い人だ。

さっき、ちょっとテレビを付けたら
『金スマ』で追悼をしていた。
もっと早く見れば良かったな。
亡くなる2週間前の映像を見ていた。

何度かTV朝日の認知症の洋子さんを
見ていて、ショックだったけれど
実際に老老介護をしているお宅の現実を
実際はもっと戦場だと想うんだけど(少し経験済)
見せてくれたこと、人として魅力ある洋子さんが
変わってしまったこと。
でも長門さんが出かけるのを寂しそうにしてるのよね。

結婚に対しての甘い夢よりも現実の
厳しさを常に公で話してくれた人。
女性の先輩として、有り難い言葉ばかりでした。
とはいえ、まだ独身でございますが。

「赤いよ、赤いよ」って
その介護のドキュメントで洋子さんがいう。
長門さんは、それが何だか判らなくて
一生懸命、何をいいたくて発するのか探す。
赤ちゃんが泣いた時のママのようでした。

愛とは、最後まで共に生きること。だな。
いうのは簡単で奇麗。だな。
だな。だな。だな。

『金スマ』のあの2週間前の映像の洋子さんは
いつもの落ち着いた、どっしりとした洋子さんだった。
あの時期を見てたので驚いてる。

でも2週間前だと知ってだったのですぐ想った。

家族を失った経験をした人でいるかと想うんだけど
最後のひと絞りで、突然、元気な頃に戻ることがある。
私も経験している。
親戚や友達は、ほっとして「明日またくるよ」なんて
いってた数日後、突然、急変してゆかれた…。

それまで喋ることが、ままならないで
伝わらないから怒り、当りちらしてたけれど
元気な頃に戻り、傷みも忘れてるかのよう。
そして、聞く側になり自分の様子なんか聴いてくれた。
そして、いいたいことをいっている。
最後の交流。許された交流なんだろうな。
天に召される前の準備に入ってるんだろう。
いつも食べたくても食べきれなかった物を
スプーンをしっかり持って食べてたというし。
驚いてるその時間が一番大事な時間なんだよ。
一緒にいないといけないよ。

大好きな人がいなくなるのは、きついよ。
人の死は慣れるものではない。

ご冥福をお祈りします。

長門さんが心配。
周りの方、まめに声かけてあげてほしいです。
疲れと寂しさが半端なく出るからね。


ああ、1つ書くと凄く疲れる。

夏前から視力がガクンと落ちた。
友達と待ち合わせててね
目の前にきてるのに見てたのに
全然判らなかった。

それから何だか気力が湧かなくてさ。
どんどん悪くなってきてる…。

少し休んむわ。
まだ書きたいんだけどね。いろいろ。
サッカーも見た所で疲れちゃって
書きたかったんだけどな。


(c)isono


Excite エキサイト : 芸能ニュース
2009年10月22日 06時01分 ( 2009年10月22日 06時30分更新 )
南田洋子さん逝く…入院5日、手術実らず
1975年5月、テレビ局の楽屋でくつろぐ長門裕之と南田洋子さん夫妻
 「太陽の季節」など多くの映画やドラマに出演し、17日に意識障害を起こして入院していた女優の南田洋子(みなみだ・ようこ、本名加藤洋子=かとう・ようこ)さんが21日午前10時56分、くも膜下出血のため東京都内の病院で死去した。76歳。東京都出身。夫で俳優の長門裕之(75)は舞台に出演中のため最期をみとることができず、「さよならも言わないまま永眠しました…」と悲しみに暮れた。
 入院から5日目、南田さんは集中治療室で親族数人に見守られながら息を引き取った。事務所関係者は「安らかで、さすが女優さんというようなきれいな顔でした」と語った。
 17日に都内の自宅から救急搬送された後、くも膜下出血と診断され緊急手術を受けた。20日には長門が会見し、南田さんの状況を「意識は戻らず、自分で呼吸ができない状態」と明かしていた。
 遺体は21日正午すぎ、東京都世田谷区内の自宅に移され、寝室に安置された。長門は午後8時に帰宅。車を降りると、迎えに出ていた事務所関係者と抱き合った後、無念の表情を浮かべながら家の中に入った。
 南田さんは1949年、高校を卒業して茨城県土浦市から上京。故水谷八重子さんの弟子となり、51年に大映ニューフェースとして映画界入りした。同期に若尾文子(75)がいる。同年「美女と盗賊」でデビューし、53年の「十代の性典」で注目を集めた。
 55年に大映から日活に移籍。芥川賞を受賞した石原慎太郎氏(現東京都知事)の「太陽の季節」を腸の病気で入院していた際に読んで感激、自ら日活に映画化を進言し、長門と主演。大ヒットし看板スターに躍り出た。
 この共演をきっかけに5年の交際期間を経て61年3月9日に結婚。芸能界きっての“おしどり夫婦”として知られた。結婚後も女優業を続け、63年「サムライの子」の好演でブルーリボン助演女優賞を獲得。翌64年には長門とともに「人間プロダクション」を設立し、ドラマ制作にも参画。65年からはフジの音楽番組「ミュージックフェア」の司会を夫と務めた。
 4年ほど前から認知症の症状が見られ、長門が在宅で介護。08年秋にはテレビ番組で公表し、闘病の様子と長門の献身的な介護ぶりが話題となっていた。今年2月に脳こうそくと診断され、4月1日に意識が混濁状態となり入院したが、同18日には退院。その後は症状が良くなり、今月9日のTBS「中居正広のキンスマ!〜波瀾万丈スペシャル」で元気な様子が放送された。長門が3日から始まった舞台に出掛ける際にも「行ってらっしゃい」と見送っていたという。ただ、救急搬送された17日だけは「寒い。ごめんね」と言って見送りはなかったという。

 ◆南田 洋子(みなみだ・ようこ)1933年(昭8)3月1日、東京生まれ。父は米穀商、母は日本舞踊の師匠。51年「美女と盗賊」で映画デビュー。旧姓「北田」の北を「暖かい方がいい」のアドバイスを受け南に変えて芸名にした。「太陽の季節」で人気を得て以来、映画「幕末太陽傳」「豚と軍艦」、ドラマ「若者たち」「続・氷点」「わかば」などで活躍。認知症が悪化した06年まで女優活動を続けた。

by iso_noon_sen | 2009-10-23 23:10 | 芸泉
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