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わたしのしてん。            (c)音泉ニットキャップ。
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タグ:大原麗子 ( 3 ) タグの人気記事

やっぱり麗子さんの弟さんの言動が‥

他人事である。
よく近所の人が話すような感じですね。

3日に亡くなられていたというのは
締め切っていたらしいから暑くなって
湿度が凄く高かったので‥だろう。

でも2週間前なら生きてたわけでしょ。
都内にいた弟は会社員で仕事もしてたけれど
そう遠くはない場所にいて鍵も持っていた。
なんで行かなかったんだろう。
きっと電話が何度か鳴ったのを聞いて
変だと気づいて来てくれると信じてたかもしれない。

ご近所も気にされていたようでしたね。
締め切って要塞状態で状態が不明。
もしも判れば、何かしら助けてくれてたかも?

でも、「うつ病」になってたこと報じられてなかったよね。

最近ではなく、以前からだとあった。
乳がんも手術していて、舞台の2週間前に手術と
書かれていたように思う。それって‥。
小さかったのかな、でも体にメス入れると辛かったはず。

「うつでもあったので、いろんな薬を飲んでいたから」と
「倒れてた3mほど先にあった携帯まで動けなかったんだろう」と
「床で頭が痛かったから枕の代わりに洋服をあてがっていたのでは」と
病死した推測をしていた弟さん発言は他人事でした。
もう動く気力がなく限界だったんだと思う。
それだけ強い薬を飲む日々なら体調が悪い日のが多かったかも。
合わなければ、また新しい薬だったろうし。
買出しに出た水は、その薬の為だったのかな。

うつ病の人を一人にする。
難病でもあり骨折をして、リハビリも
ままならない人を介助する人が
いなかったんじゃないかって様子が流れ
私は、弟さんがどれだけをしたのか疑ってしまう。

人との付合いに疲れるし難病の方でも
生活疲れがあったはずなので
自分から電話できなかったかなと察します。

一緒に過ごす時間は、弟さんの家だったようだし
家族で集まった時の話の中でも違和感。
「誰かお友達に車で送ってもらったようです」と。
普通、挨拶をしないかな。ありがとうっていわないかな。

麗子さんは、車椅子の母親の介護を誰がするんだという
家族会議で、「私がする!」といった時点で
大変な決断だけれど、生き甲斐になっていたのよね。
大好きなお母さんとゆっくりな時間は大変だけど
きっと楽しかったと思う。

その介護の決断と同時に、もしも自分が動けなくなって
助けを弟に求めても、「来ない」と思ったのでしょうね。

お洋服など身に着けてた物は皆にあげちゃったようで
老い支度、身辺整理をしてたのかな。

あの暮れの忠明さんとの対話での泣きじゃくる様に
それまで様子が気にならなかったのかな。
弟さんはどうしたんだろうか。
弟さん、独身なのかな?

弟さんしか肉親で動ける人がないってことで
こんなに詰め寄る書き方だけれども
その動ける彼が、行政に相談をして何か
手を打って、サポートが入っていたら違ったんです。

お母さんに、会いに行ってるのかな。
家族が顔を見にくる予定があるだけで
寝たきり、ボケも遠のくものなので
これからは弟さんが、しっかりお母さんの
支えになってくれないと可愛そうよ。
お母さんが、これだけ長く生きていてくれているのも
意味があると思うし、ありがたいことです。
存在だけで力強く思えるもの。
施設に入れたままじゃ可愛そう。

60にもなっちゃうと、自分が高齢だからって?
年齢が高齢同士になって、互いに
理解してあげられること増えないかな?

介護のプロに任せているのだから顔出して
一生懸命、麗子さんの話や幼い頃の自分が
嬉しかったり、感謝した思い出を話してあげてほしい。
返事なんかしてくれなくったって、聞こえてるさ。
そこにいる限り、ずっと生きている命に話してね。

誰もが一人ぼっちで生まれて、死んでゆくのだけど
家族がいるのに、こんな最後ってかわいそ過ぎる。

麗子さんが食事は出来てたのかと考えては、切ないです。
出来なくなってしまうことが増えてたはず。
女性だから、お風呂やトイレのこともね。

ちょっとお茶を飲みたいって思ってても
力が入らない状態に諦めてしまって
何も食べなくなってなかったかと考えてしまう。

母が手に力が入らなくなってきたと話してくれた時
とっても不安そうな顔でずっと悩んでいた。
物を何か1つ落とす度に表情が曇っていた。

麗子さんは歩くことも困難だったというし
それを一人で暮らしてたなんて考えるだけで苦しくなる。

何を思っただろう。
人生を振り返る時間がもしあったとしたら
こんなはずじゃなかったと思ったかな。
それとも「人生こんなもの」と思った?

先日、他界されたかおりちゃんは、元彼だった
ヒカゲさんが都内にいる間は毎日会いに行ってくれて
最後も手を握り、名前を呼んでお別れをしたそうです。
いいお友達として付合いが続いてたことに感動してしまった。

家族や友達に囲まれて、お別れをいえた最後のシーン。
私の最後にはあるだろうか。

囲むようにお別れに集まってもらったら
「別れたくない」と、泣きまくってしがみつきたくなるか
そう思いつつ黙って泣きもせず何も言わないかもしれない。
もしかすると何処かの通りで身分証明書もなく
たまたま出かけた帰りに倒れていなくなるかもしれない。
いつ人生の終わりが来てもおかしくない人生。

麗子さんのあの不安の叫び声は、これから
自分の身にも起こり得るテーマだと思う。



(c)isono


Excite エキサイト : 芸能ニュース
2009年8月8日 09時51分
大原麗子さん荼毘に、死後3日経っていた
 6日に都内の自宅で遺体で見つかった女優大原麗子さん(享年62)が3日に亡くなっていたことが7日、司法解剖で分かった。この日午前、大原さんの遺体は母俊子さん(92)弟政光さん(60)の遺族2人が見守る中、荼毘(だび)に付され、都内の実家に帰った。大原さんの遺志で通夜・葬儀は密葬で行われ、後日、お別れの会が開かれる予定。
 大原さんの遺骨は母俊子さん、弟政光さんが住む都内の実家に帰ってきた。政光さんによると、司法解剖の結果、死亡推定日時は8月3日と分かったが、死因は不明という。「特定されるまで50日ほどかかるようです」(政光さん)。この日午前に遺体は都内の葬斎場で荼毘に付されたが、立ち会ったのは母と政光さんの2人だけだった。「家族だけで送りたかった。姉も喜んでくれていると思います」。
 政光さんが最後に会ったのは7月5日だった。「その時は元気でしたよ。病気(ギラン・バレー症候群)も回復に向かっていたので、こんなことになるとは思いもしませんでした」。8月に入って連絡が取れなくなったことから、6日夜に成城署員とともに世田谷区にある大原さんの自宅に入り、遺体を発見した。「床にあおむけで倒れていて、頭が痛かったのか枕代わりに衣服をあてがっていました。1・5メートル離れたところに携帯電話があったけれど、そこまで届かなかったのでしょう。携帯に手が届いていれば助かったかもしれないのに」と悔しがった。
 大原さんの遺志もあって、8日に大原さんの自宅で密葬が行われる。「以前万一の話になった時、『派手にはしないでほしい』と話していました。ただ、お墓にはファンの方にもお参りに来てほしいと、懇意にしているお寺に用意していました」。後日、お別れの会を予定している。「姉は偉大すぎて、昔は何かと比べられるのが嫌だった。厳しいところもあったけれど、優しい姉でした」と振り返った。

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by iso_noon_sen | 2009-08-08 14:50 | 芸泉

大原麗子さんの通院にレポーター、そして母親90歳の‥。

今、ちょっと食事するのに、TVをつけたら
前田忠明さんが話していたのを聞いて
また、泣いてしまった。

昨年、麗子さんが骨折した時に自宅前の
インターフォンで話をした時のことや
少しの間、通院介助をしていたお話など‥。

前忠さんと、同世代くらいなのかな。

大女優が、一人で家にいて90のお母さんが
麗子さんの骨折など心配から心労で倒れて
起きれない状態の中、自分が難病でなければと
心が破裂しそうな時の取材だったんですね、多分。

あの気丈な麗子さんが、インターフォン越しに泣いていて
お母さんが心労で倒れたことと、自分も体を起こしてると
辛く、また横になっても、大きく深呼吸していないと辛い状態らしかった。

泣きながら、まるで小さな女の子のように
「私のことを全部知っているのはお母さん、
 お母さんが命なんです。命の恩人なんです」と
訴え続けていたその身上と想いが、自分とかぶってきて
こみ上げてきてしまった。

90歳まで、娘の華やかな人生を共に喜び
そして、彼女の晩年を支えてきたお母さん。

そのお母さんの介護問題で、誰が面倒を見る?と
家族でもめたんだそうなので、弟さんがまめに
連絡をしてなかったのは、それもあったのかもしれないです。
介護は、麗子さんが「じゃあ私がやるから!」と
お母さんの介護を、今年の2月位までしてたそうな。
そして、施設に入った方が、十分なことをしてあげられるということで
その後、一人きりになったそう‥。

弟さんや兄弟が何人いるか分からないけれど
今度は、麗子さんの財産で、もめるんだろうな。
美味しいとこ取りで、思いやりはどこ?

親族よりも、近くの他人って人が多くなってるのも判る。
なんとも醜さ丸出しとか、ホッタラカシにされて
困っていても「元気?」という電話1つもない状態。

前忠さんは、麗子さんと病院で待ち合わせて
麗子さんが病院まで、タクシーで到着すると
乗り場から、診察する場所まで歩けないから
おんぶして連れていったそうです。
それが、何度かあったそうです。

薬をもらいに行って、また病院内からタクシーまで
おんぶをして、そこから一緒に食事に行く。
麗子さんは、それが楽しみだったみたい。
食べずに喋って、女優復帰を何度も誓ったそう。
食べずに痩せてゆくばかり。

それが、いつからその送り迎えがなくなったのかな?

迷惑かけているんだ、悪い‥。って
思うようになって、自分で行くようになったのかな。
3月までは連絡取ってたみたいなんだけど。
それが続いていたら、早いうちに何か対応が出来て
例えば、専門の施設でお母さんと一緒に過ごせるようにとか。

引き離された状態で、寂しかったと思う。
その気持ちはとても理解できる‥。
施設には、出かけられてたのかな。
人目があるから、行けなかったかな。

るりこさんとは、電話でよく話してたようで
最近は、連絡してなかったのかしら。

郵便物は、局留めで私書箱にしていて
体調がいい時に取りに行ってたそうな。

1ヶ月くらい前は、近くのコンビニに水を
2L3本ほど手に持って歩いてたそう。

この様子を見ると、家に人が来るのを
避けていたようなので、起きてられない麗子さんが
どんな生活をしていたか、他人であっても
心配になってしまう状態だったと感じてしまう。

自分がおっくうがった大切な母親の介護を
難病で不自由な姉が引き受けてくれたのだから、とつい
弟さんは、お姉さんの手伝いなど出来なかったのかな。
弟さんの奥さんや子供さんは?とつい。
お母さんの施設には顔を出してくれてるのかしら?とつい。
すべておっくうしてた所を楽になったけれど
これから大変ですよ、共に助け合っていたら
お姉さんは、生きていたかもしれないのに、とつい。
今更いってみても仕方がないことですが。
おっくうがっても命が消えて、目の前からいなくなると
家族の存在の大きさに飲み込まれることでしょう。

夫婦もそうだけど、絆の深い場合
片方が先にゆかれた時、心労で弱って
立て続けに失ってしまうことがある。
家族のアフターケアは大事です。一人にさせないこと。

前忠さんが、あの時に取材に行ってくれてよかった。
食事をしたり、対話をしたり、取り戻せそうだったんだろうな。
病院に行けば、後の楽しみがある‥なんて少女のよう。

麗子さんだけでなく、人間にはこういう時間は必要。
生きる気力、人からもらうエネルギー、楽しいと思う時間。
これらも、人間としての栄養なんです。
介護疲れの人たちのケアは、考えられてるのかな。
ゆっこちゃんだけではない事件がまだまだ多い。

番組のそこコーナーの間、麗子さんが自分で
「気に入っているの」と
前忠さんに手渡した写真が映されていた。
乗馬をしてる時の写真でしょうか、30代の頃かな。
姿勢よくて、りんとしてる麗子さん。
自分の過去にもはげまされていたんだろう。

生まれ変わっても女優で。
私は生まれ変わったら動物かもしれないけど。


(c)isono


Excite エキサイト : 芸能ニュース
2009年8月7日 06時01分 ( 2009年8月7日 06時42分更新 )
大原麗子さん孤独死…死後2週間以上
1988年NHK大河ドラマ「春日局」に出演した大原さん
 映画「おはん」やNHK大河ドラマ「春日局」に主演した女優の大原麗子(おおはら・れいこ)さんが死去したことが6日、明らかになった。62歳。東京都出身。数日前から連絡が取れなくなった弟が、心配になり警察に連絡。警察官が自宅を訪ねたところ、2階寝室で仰向けに倒れている大原さんを発見。事件性はなく、死後2週間以上が経過していたという。1999年に手足に力が入らなくなる「ギラン・バレー症候群」を発症。以後はほとんど芸能活動を行っておらず、孤独な最期だった。
 映画「おはん」(84年)の芸者、NHK大河ドラマの「春日局」(89年)の乳母――数々の名作に出演し、タレント好感度ランクで14回も1位に輝いた女優の最期は孤独なものだった。

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by iso_noon_sen | 2009-08-07 10:13 | 芸泉

「麗子、帰る!」‥‥大原麗子,逝く

芸能界の波が大荒れの中
またもや時代の終わりを見たような気がした。

私の周囲でも、そういう事態が続いていて
最後は、私も消えてしまうのではないかと思う
変なショックが続いています。
それは、自分が10代20代の頃とは違う感覚が
判るアンテナを得られたのかも、と感じる。

美人薄命には、60代と言われそうですが
スクリーンを離れて長かったので何だか
そう思えてしまう麗子さんです。

あのかわいい声を聞けないのかぁー。
よくネタにされてた「麗子、帰る!」って
麗子さんも楽しんで、バラエティでいってたっけ。

ギラン・バレー症候群かぁ。29歳から発症だって。
その病気もつい最近の報道で知ったまでで
全く知らなかった病気だ。当時からその名前だったのかな。
ただの難病がこの長い期間に判明したのだろうか。

色っぽくて、男性をめろめろにする麗子さんは
ずっとそのままでおられたこと。
2度の結婚で子供を授からなかったこと。
お手伝いさんを入れずに自分で頑張ってたこと。
いろいろ、いろいろ。
彼女も、のりぴーのような人だったのかな(前BLOG推測見てね)

弟さんは、難病で一人暮らしの姉なのに
まめに連絡いれてなかったんだね。

もしも、子供がいたならば違ったかも。
お手伝いさんを自宅に入れることを許してたら違ったかも。
生活に困る生活ではなかったと思うので
他人に家に入られることは許さなかったのかな。

私がこのまま独身だったら、生活に困った状態で
頼みたくても頼めなくて、部屋でとろけているかもしれない。
飯島愛さんのことといい、孤独死は背中合わせ。
今その動けない状態だとしたら、友達からの連絡は
メールが多く、電話は少ないので発見はかなり遅れるでしょう。
病気をよくせねばと思うけれど、何か長生きする理由が今はない。
現実に今、いろいろ思うこともあります。
あの人と結婚しちゃおうか‥これもきっと運命と勢いですね。
必須、支え‥です。
それは、支えてほしい気持ちと、支えたい気持ちあってこその支え。


(c)isono


Excite エキサイト : 芸能ニュース
2009年8月6日 22時19分 ( 2009年8月7日 00時21分更新 )
大原麗子さんが自宅で死去 死後2週間以上
 大原麗子さんが死亡していた自宅=6日午後10時28分、東京都世田谷区
 6日午後7時ごろ、東京都世田谷区の女優大原麗子さん(62)方で、大原さんが死亡しているのを警視庁成城署員が発見した。死後2週間以上経過しているという。警視庁は事件の可能性は低いとみて、詳しい死因を調べている。大原さんは東京都出身。1964年、NHKのオーディションに合格してデビュー。65年「孤独の賭け」で映画の世界へ。

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by iso_noon_sen | 2009-08-07 05:32 | 芸泉